14日追記:漱石『門』(続き)

 『門』の後半は煮え切らないものが残った。破滅は回避された。なんの解決もなく引き延ばされた。解決も破局もない、宙ぶらりんな、残酷な日常が、これからも続いて行く、という終わり方。
 破局の影だけは姿を見せた。破局の影が突如襲い掛かり、宗助は、禅寺へと逃避する。座禅を組めば悟りが開け精神の安寧を得られるという甘い考えを起こして、妻を残して山へと遁走する宗助。
 宗教は我々の救いたりえるか。われわれは「門」をくぐるべきなのか、くぐりうるものなのか。
 とりあえず、宗助には宗教的悟りは敷居が高すぎたのだが。
 漱石は、このあと晩年に向かって「則天去私」とかいう境地へと向かうものらしい。
 いまは敢えて、「則天去私」について調べてみようとは思わない。
 それは悟りのようなものなのか。私を去る、のであるから、「私」が救われる訳ではあるまいと思う。では、私を捨てて、則るべき「天」とは何であろうか。世間の掟に漫然と従うことではないだろうと思うが・・・・・・『明暗』を読めば、そこに何かあるだろうか。水村美苗の『続 明暗』は、そこにどのような決着を付けているのか、いないのか。
 とりあえず、順を追って『彼岸過迄』を読む。

 ──漱石を読むことは、自分の中でとてもいい作用をしている。精神の平衡を回復しつつ、自分の課題をさらに掘り下げる助けとなる。某国営放送漱石についての番組は、いいきっかけになってくれた。