則天去私について

「不自然は自然には勝てないのである。技巧は天に負けるのである。策略として最も効力あるものが到底実行できないものだとすると、つまり策略は役に立たないといふ事になる。自然に任せて置くがいいといふ方針が最上だといふ事に帰着する。」(漱石:大正四年『断片』)
 ここでは「天」は「自然」と等値とされている。天は自然のことだと見られる。漱石は、作品の中で幾度となく「自然に負かされる」「自然には勝てない」と繰り返している。とすれば、「則天」とは、自然に逆らわない、と解釈するべきなのだろう。世間体に配慮して愛を諦めたり、大人のマナーとして真実に口を噤んだりすることが「不自然」であり、自然に則して生きるとは、例え世間的には不倫であり、社会から批判される愛であっても、それが真実の愛であれば、それに従うより他はない、という諦念ないし覚悟であろう。
 では、「去私」とは。それが、「則天」と矛盾しないものであるとすれば、「私」とは、自然に逆らう自我、世間体に塗れ、「真面目」を放棄し、大人らしく嘘を方便として使いながら生きるような「私」であろう。
 だとするなら、「則天去私」とは、漱石が晩年にたどり着いた認識や悟りなどではなく、『坊ちゃん』がついに開き直ったのだ、と見るべきなのかもしれない。
 おそらく、漱石は死ぬまで宗教に逃げたりはしなかっただろう。理にとどまっただろう。「悟り」は認識の敗北であり、逃避である。漱石は最後まで、そう考えていたに違いない。
 それは、これから『道草』『明暗』を読む中で、分かってくるだろうか、それともやはり分からずじまいだろうか。

アイドルの過酷さと崇高

 どんなに人格攻撃されても、どんなにむごい誹謗中傷を受けても、揶揄されても、涙はひた隠して、ファンに最高の笑顔を見せ、勇気や生きる希望を与えてくれる。
 なんと強い、素晴らしい存在だろう。
 わたしには到底、到底、耐えられない。
 わたしは想像する、おそらくアイドルもぎりぎりのところで耐えているのだろう、と。悲しいことに心が折れてしまうこともあるのだろう、と。欝になって仕事に行きたくない、と思うこともあるのだろう、と。
 そうであっても、それを責めることなど、誰にも出来ないはずなのに。
 「いつも元気で笑顔で楽しそうなアイドル」という仮象を一皮剥けば、そこに横たわっているのは、過酷で、恐ろしい現実。「アイドルを生きる生身の人間」は、黒々とした悲愴性で、ほとんど塗りつぶされそうだ。
 それでも、頑張ってほしいと遠くからエールを送る。そんな資格はないことは承知の上でも。わたしにも、ごく少数ではあっても、応援してくれる人が居て、その声に救われているから。ありがとう、応援してくれる皆さん。

いいなーいいなー夜遊びいいなー!!!

夜遊び大好き♪ 亀井絵里推しのテキトーなブログから。

写真はラフロイグという銘柄のシングルモルトウィスキーです。
口に含んだ瞬間、煙の匂いが広がるのがたまりません。
アードベッグボウモアと並ぶフェーバリットドリンクです。
 うらやましいぞー、と。ただそれだけですw
 スモーキーフレイバーの強いスコッチは美味しいっす!
 って、最近飲んでないなー。

 ちなみに、痛井ッ亭。は、タリスカーとか、グレン・モーレンジとか好きでした。ラフロイグも好き。グレン・リベットとか上品、繊細すぎて、自分なんかが飲んじゃってごめんなさい、って気分になる。
 (ちなみに最近とある方からお聞きした情報では、スイスでは16歳からビールとワインはOKで、他のお酒も18歳からOKなんだそうです。スイス自由だよスイス!)

アンジェラスさんの思い

アーティストの想い - 狂熱の娘団。から引用します。

ある方面の、ごく限られた世界しか知らないような人たちにとっては、想像すら出来ない話なんだろうなと思います。
これが、自立しているアーティストの姿です。
彼女たちが活動している世界とは、まさにそんな厳しい所なのです。
そして彼女は、これからも前向きに頑張って行こうとしています。
 ある方面とはハロヲタ界隈のことだと思うのですが、ハロヲタが、それを「想像すら出来ない」のは、とりあえず、今は順調に活動して行ける程度には売れているので、想像する必要がないからなのだろうと思います。
 アイドルと呼んでもアーティストと呼んでもミュージシャンと呼んでもいいですが、商業音楽である以上、売れなくなったら売ってもらえないという条件にはさほどの違いはないでしょう、おそらく。モーニング娘。は、活動が順調に継続して行ける程度には、今も売れている、と言うことなのでしょう。ミリオンセラーを連発するような存在は例外中の例外で、多くの場合は、そこそこファンに支持されるという状況で生き続けるのでしょう。
 モーニング娘。が「厳しい」状況に直面しているのか、近いうちにするのか、分かりませんが、出来る形で、愛する彼女らを応援して行ければいいな、と思っております。
 テレビでサンマを骨ごと食べてみせたmisonoさんは好きだったので、彼女もがんばれ!とエールを送りたいです。
 

漱石「行人」

 重苦しい小説でした。理や真面目さにこだわる人間の苦悩。その鬱陶しい人間に振り回される周囲の人間の苦労。
 ・二郎(語り手)と嫂にかかわる三角関係(精神的な)は解決されない。兄、一郎(主人公)との確執は宙ぶらりんのまま。
 ・構成にはやや疑問も。第一章、三沢という友人の話は長すぎるような気がする。あとで三沢は活躍するとはいえ、主人公の兄と直接関連しないエピソードが長すぎるような。
 ・最終章のラスト。Hさんからの長大な手紙で小説が終わってしまう、という構成は、直接『こころ』へと繋がるもの。しかし、手紙で小説を終わらせてしまうのは、、、、。
 その手紙を読んだ二郎の反応や、それで、二郎がどう変るのか、変らないのか、旅行の後兄はどうなるのか、そういうことを読者は知りたいんですけど。
 ・この小説の文体は晦渋というよりも無駄に愚図愚図している印象。それは、語り手二郎が腹に一物持っていることから来る必然的なこと?

 ──次に読み始めている『道草』の文体は引き締まっている。それはまた別のエントリで。

モーニング娘。の魅力:コンスケさんの更新

 ■[娘。全般][高橋愛][道重さゆみ][田中れいな][亀井絵里][久住小春][新垣里沙]娘。秋ツアーから引用します。


彼女達はまがうことなく眼前に生きていて、奥行きを持った存在。

アイドルが演じられるものであったとしても、

隠しきれない生身の、照らされれば影もできる確かさ・個性・色。。

 彼女たちは生きている、それがとても重要だとわたしも思います。アイドルという記号に回収されない部分にこそ、彼女たちの魅力がある、と。

ブログ名変更

数が多すぎるブログを整理します。
それにともない、当はてなダイアリーのタイトルは、
ヤキイモ屋さんの音に反応する亀井絵里の飼犬アルの日記
から
娘。魂の唯物論的な擁護のために
に変更いたします。