漱石『三四郎』読み始めた

 大昔に読んだときには、なんにも面白く思わなかったけれど、今読むと、なかなか面白い。
 ・旧き日本の圧迫にも、新しき西洋の圧迫にも耐えられない、という漱石的状況が明言されている。
 ・文芸の意義は、技術でも、事務でもなく「より多く人生の根本義に触れた社会の原動力」という言葉に励まされる思いがする。
 今、なぜ、「文学は終わった」という言説が蔓延るのか。文学が「人生の根本義に触れ」なくなり、見捨てられたからかもしれない。そもそも、「人生の根本義」を語ること自体が時代遅れとでもいうような風潮自体が、物象化した社会に押し付けられたイデオロギーである可能性を考える。
 ・現代人は、すでに、人生の無意味さに悩むことをやめたのか、諦めたのか、折り合いをつけたのか。
 ・漱石が苦悩しつつ提出した問題は、おそらく現在も何一つ解決していない、現役の、アクチュアルな問題だろう。それを現代に相応しく再提示することができるならば、文学(芸術一般)にもまだ可能性はあるのではないだろうか。
 ・あるいは、社会が変質することによって、再び、可能性が顕在化するのではないか。
 ・芸術における抵抗という契機(アドルノ)について考える。