漱石『草枕』から


 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 夏目漱石草枕』より(新潮文庫
 今や、わたしの内から無限の詩画が溢れようとする。陰惨な韻律と地獄絵図が。
 『草枕』の主人公は、それでも、智に働き、情に棹さし、意地を通したのだろう。坊ちゃんからの流れ。
 しかし、次の一節はどうだろうか。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い
 夏目漱石草枕』より(新潮文庫
 これを漱石自身の芸術観とみるべきか。
 芸術は、慰めの仮象に過ぎないだろうか。
 桃源郷を求めた現実逃避であろうか。
 それとも醜悪で酷薄な現実に対する告発と抵抗であろうか。
 アドルノは告発と抵抗に重きを置いたが、それは上記の『草枕』の芸術観と矛盾するものではないだろう。芸術における抵抗の契機こそが、終局的には、人の世を住みやすくするのではないか。
 「痛井ッ亭。」の代表作「恋ING」 恋愛小説もまた、慰めであり、現実逃避であり、告発と抵抗であったと言えるだろうか。
 今書けば、さらに峻厳な、陰惨な小説となったであろうか。
 そうならなかったことを亀井絵里のファンとして喜んでしまうのは、やはり現実逃避に過ぎないのだろう。