追記、漱石、柄谷行人

 『彼岸過迄』を半分で放棄。『行人』を読み始める。そのあとは『道草』『明暗』の予定。プルーストが中断したままだ。ニーチェも。

 ところで、柄谷行人が『批評とポストモダン』のなかで『門』について書いていた。
 宗助の欲望は他人の欲望に媒介されているので、そもそも「自然対制度」という図式はなりたたない、というような話。
 たしかにあらゆる欲望は他人の欲望に媒介されているのかもしれない。
 だからといって、漱石が書いたような対立や矛盾や苦悩というものの意味が薄れる訳でもない様に私は思う。
 むしろ、柄谷行人の記述のほうが「ポストモダン思想」の典型的な思考の枠組に規定されており、その檻の中に閉ざされているような印象を受けるのだが。