■アイドルの脱構築ノート1「中国人メンバー加入について」 (下書

■アイドルの脱構築ノート1「中国人メンバー加入について」 (下書き)


 HPC最終回(?)について萌え萌え更新する予定でしたが、予定を変更します。

「中国人メンバー加入について」ということで。

■商業的戦略として


 中国市場に乗り込むなら今がその時という商業的な判断は、おそらく正しいのだろう。

 アメリカの産業界も、今、市場としての中国に注目している。



 つんく近畿大学商経学部卒業、つまり、商学と経済学を専門的に学んだ人間である。

 ビジネスとしてのハロプロの展開について決して事務所のいいなりではないはずだ。ハロプロを統括するプロデューサーとして、一定の意思決定権を留保しているはずだ。

 少なくとも、事務所が営業方針を決定するにあたって、ハロプロに関してはつんくとの話し合いを持つぐらいのことはするはずだ。

 (仮に、つんくハロプロを放り出してしまえば、UFAにとっても大きな痛手になる、少なく見積もっても、それぐらいにはつんくの実力を評価すべきであろう)



 ということは、今回の中国人のモーニング娘。加入も、事務所が中国市場開拓の目的で独断で決定したものではなく、つんくの意思、すくなくとも容認があったと考えられる。



 そして、つんくモーニング娘。の展開を、決して経済原理だけで考えているわけではない。モーニング娘。の本質的な部分を継承する、そして未来へ向けて発展させ続ける、ということを大事にしている。

 ということは、中国人加入もまた、モーニング娘。の本質的な部分に背かない、との判断があったはずだ。



 (この論考では、中国人メンバー個々の個性や人格、実力などは一切捨象し、「中国人が加入すること」についてのみ検討する)

モーニング娘。の本質的条件の脱構築


 今回の加入劇の特徴は、①初の外国人であること、②二人とも既に中国で芸能活動をプロとして行っていること、③公開のオーディションを経ていないこと、という点にある。三点ともに今までの「追加メンバー募集・加入」のフォーマットを大きく覆すものだ。



 モーニング娘。の特徴は、公開オーディションで選抜された素人の女の子が、努力してアーティストとしてタレントとしてのスキルを身につけ成長していく過程を楽しむという、いわば美少女育成ゲーム(「育てゲー」)的側面にもあった。古くからのファンほど、この点についてのこだわりは大きいようだ。

 しかし、今回の加入で、②芸能活動歴がないこと、は本質的な条件から外された、と見るべきなのだろうか。それとも、中国での芸能活動は例外的に(無視しうるものとして)許容されうる、ということなのか。

 また、③公開オーディションを経ることは絶対条件ではないということが明らかになったと言えるだろう。(藤本美貴は例外的な加入者だったが、それでも4期オーディション参加者だった)



 ②③という具体的条件そのものは本質的ではない、という思想が今回示された。では、かかる具体的条件の本質は何か。それは、新メンバーの成長過程をじっくりと見られる/楽しめるという「伸びしろの確保」にあったと考えられる。

 今回の中国人メンバーはどうか。

 福岡から山口から新潟から滋賀から来ました、ということと、海を渡って中国から来ました、ということは訳が違う。外国人新メンバー
にとって、言語の壁、習慣の壁を越えて、既存の日本人メンバーに溶け込み、メンバーとして受け入れられ、協同して一つのパフォーマンスを作り上げ、仲間として認められるまでの過程には、ほとんど無限に近いほどの伸びしろがあると言えるだろう。

 「伸びしろの確保」という本質的要件が満たされる以上、②③という具体的条件はモーニング娘。の本質の継承にとって絶対に必要ではない、ということ。

 すなわち、「伸びしろの確保」という根本条件を脱構築し、それをさらに限定付けていた不要な枠を取り払うということ。それが今回の加入の大きな意義だと言えないか。


 ■モーニング娘。における国籍条項の撤廃


 モーニング娘。は、日本国内のみならず、JPOPの代表的なアイドルグループとして、いわば Japan culture の華として、世界的にも多くのファンを獲得している存在である。もはや、日本人のためだけの存在とはいえない、世界中のファンのためのモーニング娘。

 そこで、日本国内からの観点を離れて、世界的な視点でモーニング娘。をみてみる。



 今、日本文化は最高にクールなものとして、若い世代を中心に世界中でブームとなっている。カワイイ、マンガ、アニメ、などの言葉は既に世界の共通語である。

 しかし例えば、「ポケモン」や「ドラえもん」や「母をたずねて三千里」などなどが世界中の子供を夢中にするのは、それが日本製だからではない。宮崎アニメが評価されるのも日本製だからではなく、作品として優れているからだ。

 だとすれば、「モーニング娘。」もまた、その存在自体のユニークさ、作品としての魅力で評価されていると考えることができる。そうである以上、それが「純日本産」であるかどうかは、本質的に重要な問題ではないということになる。



 いままで、モーニング娘。には日本人のメンバーしかいなかった。いわば、「純日本産」だった。しかし、それは絶対条件ではない、ということが今回示されたと言えるだろう。



 モーニング娘。初の、①外国人メンバー加入。

 日本人であることは、モーニング娘。の絶対条件ではないということ。

 これは、モーニング娘。における見えざる国籍条項の撤廃として高く評価されるべきことなのだ。



 国際協調主義をとる戦後の日本において、外国人と共存共栄していくことは必須の要件である。公務員登用試験における国籍条項も次第に撤廃される方向性にある。諸外国からの難民の受け入れにおいては日本の行政の対応は立ち後れており、より一層、外国人にとっても開かれた国になることが今まさに求められている。

 それこそが、日本をより世界に開かれた風通しのよい国にすることにつながるし、草の根レベルで諸国民が共存すれば、平和の維持にとっても大きな力を発揮しよう。



 このような時に、日本のポップアイドルを象徴するモーニング娘。が、中国人を新メンバーとして受け入れる。モーニング娘。は中国に対して、己を開き、そのことによって、日本の大衆の心に巣食う見えざる国籍条項を撤廃することを要請するのだ。



 そのことの持つ、文化的・政治的・平和的意義はあまりにも大きいと言うべきだろう。



 かつて、つんくは語った。




 そのうち ”ひとりでモーニング娘。”みたいな時代が来てもいいと思うんですよね、T.M.Revolutionみたいな(笑)

 モーニング娘。×つんく♂2』p027より



 つまり、複数のメンバーにより構成されるグループであることすらも絶対条件ではない、一人であってもモーニング娘。の本質を継承することは可能なのだと、つんくの中ではイメージされている。

 とすれば、外国人を加入させることもまた、それほど驚くべきことではないのかもしれない。



 モーニング娘。の地政学で検討したように、日本文化の東京中心性への批評意識を持ち、メンバーを全国から呼び集めてきたつんく

 そして、いまや、ことは日本国内だけの話ではなくなった。

 世界に開かれた国ニッポン、そのニッポンのモーニング娘。

 そうである以上は、やがて、世界中からメンバーが加入して、肌の色も母語も習慣も一人一人違う、人種のるつぼのようなモーニング娘。が出来上がるかもしれない。


■中国人メンバーに想定された物語


 現状における、ファンの反応は、概ね否定的なものであると言える。



 なんにせよ大胆な改革をしようとすれば、批判され、否定的な反応が激しくなり、ときには過酷なバッシングさえ生む。

 その事情は「5期加入」やその後の「ハロプロ構造改革」の経験によって、事務所も、つんくも、十分すぎるほどに理解していることなのだ。

 否定的反応を予想していなかった、などということはありえない。

 それは十分に、予期していた反応だった。



 つまり、中国人メンバーは、バッシングを受けることすら折り込んだうえで、モーニング娘。に加入してくるのだ。



 壮大な物語の初期設定が、今、なされようとしているところなのかもしれない。

 国籍、人種、言語の壁を越えて、中国人メンバーが、既存メンバーに、日本のヲタに、世界のヲタに、受け入れられるまでの過酷かつ壮絶な物語。

 ただし、それがハッピーエンドで終わるか、悲劇となるかは決まっていない。オープンエンドだ。



 バッシングとそこからの生還の物語を見てみたい、そのようなサディスティックな関心が、つんくの中にないとは言い切れないだろう。



 かつて、つんく中澤裕子に対して、いじめることで光る人、ぎりぎりまで追い詰めることで魅力を発揮する人だと『LOVE論』で語り、実際、彼女に対して、彼女のなかでゼロの存在だった演歌歌手をやらせ、また、6歳で父を失った彼女に、あえて繰り返し父の歌を歌わせてきた。

 また、優等生としての自信をもって生きてきたであろう紺野あさ美にあえて「赤点」という設定を背負わせ、また、「完璧も何もお前歌ってないやんけ!」という客からのツッコミを見越して、彼女に「歌もダンスも完璧です!」というネタをやらせ続けたつんくなのだ。



 であれば、中国人新メンバーに対しても、そのようなサディスティックな愛情表現を予定しているとしても、なんら不思議ではない。

 そのことで、その子らの魅力を引き出せるのであれば、いくらでもサディスト役をやる、というのがつんくの覚悟であろう。



 だからこその、2人同時加入なのではないか。

 1人なら、逃げ帰ってしまう辛さであっても、2人なら手に手を取って耐え抜ける、ということなのかもしれない。

 そうではないにせよ、2人が、5期の4人以上に2人だけで固まってしまうことは想像に難くない。



 ともあれ、この新たに始動しようとする物語が、その妖しい魅力を存分に発揮できるかどうかは、おそらく五月からの新リーダー藤本美貴の双肩に懸かってこよう。

 中国人二人に対しても、他のメンバーに対するように、厳しいツッコミキティぶりを発揮できるのか。それとも、腫れ物に触るように遠慮して接してしまうのか。和気藹々を演出してお茶を濁してしまうのか。

 それは、実際に2人が加入してからのお楽しみ、ということになるだろう。



 それにしても、モーニング娘。というエンタテインメントの楽しみ方というものは、一体どこまでの奥深さを秘めているものなのか。

 まだまだ底は見えてこない。

 まだまだ、あっと驚くような楽しみが隠されているに違いない。


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