漱石『三四郎』読み始めた
大昔に読んだときには、なんにも面白く思わなかったけれど、今読むと、なかなか面白い。
・旧き日本の圧迫にも、新しき西洋の圧迫にも耐えられない、という漱石的状況が明言されている。
・文芸の意義は、技術でも、事務でもなく「より多く人生の根本義に触れた社会の原動力」という言葉に励まされる思いがする。
今、なぜ、「文学は終わった」という言説が蔓延るのか。文学が「人生の根本義に触れ」なくなり、見捨てられたからかもしれない。そもそも、「人生の根本義」を語ること自体が時代遅れとでもいうような風潮自体が、物象化した社会に押し付けられたイデオロギーである可能性を考える。
・現代人は、すでに、人生の無意味さに悩むことをやめたのか、諦めたのか、折り合いをつけたのか。
・漱石が苦悩しつつ提出した問題は、おそらく現在も何一つ解決していない、現役の、アクチュアルな問題だろう。それを現代に相応しく再提示することができるならば、文学(芸術一般)にもまだ可能性はあるのではないだろうか。
・あるいは、社会が変質することによって、再び、可能性が顕在化するのではないか。
・芸術における抵抗という契機(アドルノ)について考える。
『明暗』読了
・実に力強い小説。これが完成していたら、と悔やまれる。
・心理描写はところどころ抽象的でくどい部分もあるが、徹底して意識の襞を丹念になぞり続ける執拗さは、やはり圧倒的だ。
・津田の視点と、お延の視点を使い分けることによって、両者に対する批評を徹底している。
・経済や階級の問題を下から突き上げる「小林」、このあと、どのように働いただろうか。
・金力権力を体現する吉川夫人。強引に昔の婚約者に引き合わせた意図はなんだろう。そして、その命に従った温泉場行きは、津田にどのような結果をもたらすか。お延との夫婦関係、吉川夫人とお延との関係は、どう変化するはずだったのか。
・いずれの人間関係も、非常に生臭くねじくれており、それらは、おそらく小説が完結しても解消されなかったはず。むしろ、昔の婚約者との再会は、悪いほうへと働いただろうが、それが明確なカタストロフィに結実したかどうか。むごたらしい現実がむごたらしさを増して、だらだらと続いて行くように、小説は完結したのかもしれない。
・とりあえず、水村美苗の『続明暗』を読み始めたが、どうも、文章がダサい気配が濃厚で、最後まで読めるかどうか、ちょっと不安。
これからのモーニング娘。の戦略について妄想する
・中国大陸27万枚手売の旅
これをテレビ東京の社運を賭けて(?)大ドキュメンタリ(やらせ)として放送する。中国のテレビやネット媒体とも連携。
参考:中国で手売企画をご提案してみようではないかスレ
・「手売」企画とは趣旨が矛盾するが、テレビ露出とは異なる形での「アイドル」としての魅力を表現する場を作るべきでは。ラジオには可能性はある。が、ネット配信はもっと可能性があると思う。
(「ライブアーティスト」としての活動は今の方針でまったく問題ないと思われる)
・ネット独自のコンテンツの充実
ドアップにいくつかオリジナルの番組があるが、これをもっともっと拡充してはどうか。英語字幕入り版を作るとか。CDを購入すると見られる特典番組を作るとか。
「朝まで生番組制作部」のようなネット番組にモーニング娘。を出してしまう!とか。せめてOGを出してしまう!とか。
やれること、やれば面白いことはいくらでもありそうに思う。
事務所にはチャレンジ精神が足りないのか。何が足りないのだ?
(とりあえずネット番組に出しても売上げには繋がらないから出来ない、ということなのだろうか?)
紅白
ついにNHK紅白歌合戦もモーニング娘。に見放されてしまったか。
視聴率低迷してたしなあー。
なんて書くと、「ヲタ涙目wwww」
という反応が予想されます。(笑) 強がってんじゃねーよ、と。
しかし、長年、紅白はモーニング娘。を観るもので、それ以外はただ目に入ってくるだけだといっても過言ではなかった私です。モーニング娘。が出なくなったら、私が紅白を見捨てることだけは間違いない。
それにしても一行目は哀愁漂うアイロニーであることは確か。
ではあるが、何も紅白を基準に物事を考える必要は何もない。
紅白に出るということは、NHKというメディア権力が、大衆文化的消費財として認定している、というだけのこと。
紅白に出ない大物歌手は昔から大勢いるし。
最近は現実に紅白の視聴率も落ちて、その権威も失われつつあるし。
たしかにテレビで彼女らの姿が見られないことはファンとしては寂しい限りだが、紅白「落選」ごときで一喜一憂しなくてもいいように思う(やはり強がり?)。
・某掲示板では、「お前らがあまりショックを受けていないことにショックを受けた」という論調も見られた。ショックがあまりない理由は、おそらく、最初から甘い期待を抱いていなかったということなのだろうけれど、別に紅白出なくたっていいべ、という態度もあって然るべき。